正月気分
2017/01/19 01:55
[雑記]
遅寝の習慣がついちまってて、いろいろ些末な日常生活送ってますが、またまた手を怪我して、それにかこつけて父親ところに行ってないというパラダイス。いやいや、本当は母親の葬式他いろんなことぜ〜〜んぶやってきた私の目の前で買ったばかりの高価な腕時計を弟にやって何かがブチ切れてすべてにヤル気なくしたんですわ〜。まあ、二次元へのヤル気は以前より戻ってきたかな!ということで、二年ぶりに絵を描きマンタ。正月絵です。その前は京涼の日の絵か、ほぼ服装とか構図が変わらないこの引き出しの無さよ。
一応、明智平から男体山望んでという、男体山は本当に京一っぽいんで大好きだあ!
雪の男体山は初めて日光に行ったときに見たよ。あまりの寒さ、そして閉まるレストハウス、バス待ちで凍える私を見かねたレストハウスのおっちゃんとおねいさんが中禅寺湖まで送ってくれた!という。懐かしいなあ。
去年はなんだかんだ行かなかったな。初めて行ってから毎年行ってたんだっけ。年二回とかもあったっけ。また行きたいな。
そうそう、引っ越しての家ですが以前の賃貸よりはあったかい。ツーバイフォーだからかな。でもやっぱ冷えるんで床下換気口をプラダン切って塞いだ。案外行けるよコレ。それと窓にもプラダン。簡単に外せるしね。
あと、いろいろリフォームしたいので見積もりを集めておる。階段に手すり(一回落ちたし)、階段下に収納(一応あるけどまだ余白がある)、屋根裏に上れるはしご取り付け、できれば自分でやりたい屋根の裏と床に農業用アルミシート(夏の輻射熱を防ぐ)、吹き抜けに換気扇(夏がくそ暑い)等々、中古住宅だから仕方ないね。
京涼とかでもよく書いてたけど、バサラやって日本画の良さやデザインの良さを知って、日本家屋もいいなあってなったんですよね。私らの世代はまあ古いから、趣味が洋もんよりなんですよね、音楽も何でも。で、日本ものを軽視する風潮だったけど、デジタルと和ものの相性の良さとかもだけど、日本画水墨画、日本家屋に寺神社と、良さがめちゃめちゃわかるようになったのはやはり年を取ったからかな。前世はなんだった?と聞かれたら、多分ヨーロッパのどっかでキリスト教云々か、時代はわからんけど日本の武士か、アメリカ禁酒法時代かなと答えると思います。先祖は奥州藤原氏、武士ですしおすし。
ではでは
拍手メッセージありがとう!
2017/01/04 00:40
[雑記]
こんばんは!今日はお不動さんに行ってきました。四十九日は元旦でしたので、忌中は過ぎていまして初詣もオケらしく。お不動さんはお寺さんなんで忌中は関係ないんですけどね。
護摩法要を外から見てたんですけど、般若心経懐かしいなあ。一時期は覚えてたんですが、今はもう殆ど忘れてました。んで、聴いてると気持ちいいんですねえ。真言密教は日光や高野山もそうなんですけどインド色濃いんでインド好きにはとっても興味深いです。なんというか、梵字とかって象徴で神仏のお姿も何らかのエネルギーを視覚化、擬人化させて私達に伝わるように、言葉や絵にしているのかなと思います。数多のエネルギーを呼ぶためのお経なのかな。無が痛みも苦しみも何もないと、それと一体になることで宇宙と一緒に
とかそういうこと言ってるんだろうけど…。
難しいな。
拍手メッセージありがとうございます!
由利子さん、いえいえまた遊びに来てくださいな!あちら、Twitterではいつもかまってくださってありがとうございます!私も由利子さんのセンスあるTwitterを楽しみにしています!
ではでは
お久しぶりです。色々ありました。
2017/01/02 22:08
[雑記]
昨年は激動の年でした。子の受験、入学、同時に家の契約、引っ越し、階段から落ち、足を疲労骨折、そして…。
今年の新年のご挨拶は喪中につき辞退申し上げます。
そうなんです。長いこと、10年かな。後半は施設や入院生活だった母が他界しまして、バタバタとしていたわけです。うちは長男の弟夫婦がいても私に実家両親の事が全部かかってきていますので、それこそ父親の面倒も見ながら子育てしながら、認知症とパーキンソン病の母の介護もしていたわけです。
母は他界しましたが、言葉は悪いですが父の面倒もありますし、私自身の体のこともあって、今、創作活動は全くしていません。読み専になって、まあ読みも正直時間が取れない、疲れて読む気が中々と言う感じです。萌えは?と聞かれれば、私の中で京涼、トモ大、そして小政、似高は何でかずっと胸にあり続けて萌えています!こうしたい、こういうの表現したいってのはあるんですけどね。そうそう、長年の親との軋轢や介護や子の思春期暴発の揉め事でなってしまったパニック障害は、私の難病である脳の器質的障害から悪化してしまって、本来の難病治療と共にメンタルヘルスにかかっていましたが、これも難病のせいで普通のパニック障害や鬱と違い、真逆になってしまうので長いこと投与されていた抗うつ剤が反対に悪く作用していました。思い切って抗うつ剤を止めて、そして色々文献調べて私にはグレープフルーツが合うのを知って、それからある程度元気になる事ができました。もう、長い長いトンネル抜けたようですが、やはり無理はできない病気なんで気をつけていきたいと思います。
今年の春には私の母の骨と共に母の田舎の群馬に行きます。親戚に会うんですが、母は長い事田舎に帰ってなかったんで、せめて、骨だけでもと思っての帰郷です。三朝温泉に泊まるはず…で、赤城山はね、母があの山を超えたら都会、東京に行ける!歌手に、アイドルになりたい!と思っていたらしいです。その赤城を超えて東京から大阪。大阪で私は生まれ、そして赤城山の象徴である涼介を命がけで愛する京一を書きたいと思った。それには何か意味があるんだろうか。わからないけど。
Dに、京涼に巡り合ったのも不思議な縁ですよね。
母の死のあと、私は知った事実にショックを受けてTwitterでけっこう取り乱してしまったんですね。辛さのあまり吐露してしまって…。だけど、温かいお言葉をかけてくださる方、私の愛するキャラやカプを投下してくださる方、いいね!で肩を叩いてくださる方…。そして放置しっぱなしだったサイトにも足を運んでくださった方、拍手を押してくださった方もおられた。私は慰められていたんだと気づいて、真っ黒になった胸に温かく染みていきました。まだ時間がかかるかもしれないけど、とりあえずサイトは閉じずにこのままでいさせてくださいね。
だって、まだまだ萌えていますからね。
ではでは
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