昨日は本当にアンラッキーでした。
なんなの?
本当に、なんなのと、
それにお金ばかりが出ていくし、
なんでも高くて、
ぜいたくなんか、一切してません。
もう若い時のように、あれ欲しいこれ欲しいはおさまってるので、
生きていくためのみの支出も、足が生えてるようにお金が出ていきます。
プラスなんだかアンラッキーで、
だいたい、アンラッキーを運んでくるのは、ヒトです。
だからいやなんですよね。
こんなこと、誰にも言えないし、言いたくもないけども。
言えば、ネガティプな人だと思われて、距離を置かれるか、
かげで笑われるか、です。
うちの亡き母が、
わたしの顔をみたら、
色々と吐き出す事ばかり言ってたので、
親でも、そんなことばかり聞かされたらいやなんだから、
他人なら尚更です。
母親の場合は、まぁ気持ちはわかるんです。
今になると、わかるんだけども、
昔から超のつくネガティプな人だったから、まぁしんどかったです。
唯一、本音をむき出しにできる身内(娘であるわたし)
だったから、
しかたないのもあるのですが、
他人や親戚の前では、やたらいい人で、
お茶代おごったり、
気を使いまくって、
あなたが死んだ後始末、誰がしたと思ってたんだろうか。
あなたはいいわね。
死に水わたしがとったんだから。
あー書いてたら、こんないやなことも書いてしまった。
ほんと、いやだわ。
自分は、音楽が好きで、漫画もアニメも好きで、
本も好きで、
ミュージカルやお芝居も大好きで、
うっとおしい人間ではないはず。
なんて自己をかばったりして、
人間は多面的な生き物ですから、
色んな思考を持っているんです。
ニュース聞いたり見たりして、思うんですが、
これからは高齢の人がますます増えて、
認知症も増える。
そして、ひとり暮らしの高齢者が多い。
頭がボケないため、認知症になってしまったら、進行を遅らせること、
などと、
色んな対策を並べるわけだけども、
それは、だいたいが、どんどん人と関わること、とか、
コミニティに行くこととか、
家にいないで、友達を作って、出ていくこと、などが多いんですよね。
認知症には、それはならないほうがいいです。
年老いて、頭がボケてくるとか、すぐ忘れるとか、それと、認知症は違いますからね。
わたしは母親がアルツハイマー型認知症だったので、ちょっとくらいはわかるんですが、
単に年老いてボケてくることとは、違うらしいです。
症状は人それぞれなので、
なにがどう違うのかは、
微妙なのかもしれませんが。
それで、話戻しますが、
どんどん出ていく、友達をつくる、などが、
脳を活性化して、認知症にかかりにくくするらしく、
なってしまってても、
症状が悪くならないらしい。
でも、わたしはいつも思うのです。
性格的に、
人とのつきあいがストレスになる人もいるんです。
そういう人はしんどい思いをします。
どうすりゃいいわけ、と思うのです。
友達なんてね、簡単そうに言わんといてもらいたいわけです。
友達がストレスやいやなことを運んできたりすることだって、あるでしょう。
親しくしてるから、その場は我慢して、
その後は距離をおくことになります。
図々しい友達がわたしはきらいです。
気の優しい、おだやかな友達なら、いいけど、
優しい人は気をつかっています。
親しき仲にも礼儀ありと、気をつかっています。
人間関係はむずかしいものです。
そんなストレスがよけいに認知症を悪くすることもあるんじゃないでしょうか。
固定資産税、住民税、車の税、これを税金三きょうだいというらしい。
ちょっと笑えました。
自分が春はあまり好きじゃないのは、
固定資産税を払わなあかんからです。
あと、雨が多いのと、すぐに暑くなって陽射しもきついから。
固定資産税はいっぺんに払いました。
年中、分割して払うのが、いやだからです。
これを払わないと、住まいも市にとられるんじゃないですか?
生きてはいけませんね。
まだ家があるからこうして寝起きができる。
毎月家賃払うのなんか、大変です。
ほんとにお金がないことには生きてはいけません。
部屋を借りるにしても、保証人が要るでしょう。
親や年長のきょうだいがいる人はいいでしょう。
家を持ってなかったら、自分は今ごろ、どうなってるだろうと思います。
病院に入院や手術も、誰か保証する人が要るかと思いましたが、
やはり今はそれがない人もあるから、
それがないからと病院は拒否はできないらしいですね。
よくは知りませんが、
親がいても、高齢で、頭もはっきりしないような親御さんだと、病院からしたら、ないも同じですし。
車の税も大きいでしょうね。
車がないと生活に困る人もいますでしょう。
神戸は都会だと言ってもらえるのですが、
神戸は山のほうに行くと、本当に不便です。
北に向かうと、すぐに高台になるので、
バスは走ってますけれど、
買い物も不便で、みんな車がないと暮らせませんでしょう。
便利なところに住んでて、それだけはよかったです。
あのような不便なばしょも、
神戸ののどかな環境のいい場所、夜景が美しい最高の場所と、不動産屋はいいとこばかり、アピールするんでしょう。
不動産屋って、自分らの儲けのためなら、なんとでも言いますから、
実際にバス乗ればすぐですしね。
あんなところ、自転車にも乗れません。
自分の行ってる病院があるところも、
山のほうなので、
なんにもないけど、住宅はいっぱい建ち並んでいます。
夜は夜景がきれいで、
病室の窓から、いつも夜は夜景を見てました。
バスですぐだけど、
住むのは困ります。
駅のバスターミナルで、バス待ちの人が長い列で並んでるのをみると、
それがなく帰れる自分は本当によかったと、いつも思います。
とても自転車でなど、帰れるようなとこじゃないです。
なんでも、物事も人生もプラスマイナスありますから、
なんかいいとこもないと、です。
母が、70を越えた時、どうやらアルツハイマー型認知症になってたようで、被害妄想もひどく、大変にわたしは困ってました。
その頃、
わが神戸市は、高齢、一人暮らしの人に対して、
毎月一度、150円で、
ご飯が食べられる催しがありました。
まぁ、いいご馳走が出ると聞き、母は行きたいと言いました。
それは月に一度の催しで、
近所の公民館で行われ、
条件は、
高齢、一人暮らしであることで、夫婦いたらだめです。
うちは娘(わたし)が一緒にいたから本当はだめで、
民生委員の人が、いいよと許可してくれて、申し込んで、
母は行くようになりました。
二、三回は行ってたようでしたが、
行かなくなりました。
楽しみにしてたのに、なんで行かなくなったのかと母に聞いてみたら、
しょうむないから、と言いました。
食事がしょうむないと言うのです。
なんで〜ご馳走や言うてたやんと聞くと、
あんな食事、もういらん、
つけあわせのキャベツもちょっとしかないし、
おかずもちょっとしかない。
あんなん食べるんやったら、うちにいて、この子ら(当時いた愛犬)とおるほうがええ、と言いました。
ご飯はおかわりができたらしいですが、
母はお米が大好きだったから、おかわりをしたかったと思いますが、
多分、誰もしないから、自分だけできなくて、物足りなくて、不満が残ったのかもしれません。
おかわりしたとは聞きませんでした。
料金が150円なわけですから、
市がやってくれてる催しで、
ご馳走とはいっても、そうすごいものではなかったと思います。
わたしは、その食事をみたことはないですが。
後からコーヒーを飲めたらしく、100円が要ったそうでした。
一度だけのんできたみたいでした。
あの時は、母のことを、
またあんなことばかり言って、困った人だと思ったけれど、
今ならわかります。
あんな食事もういらん、という気持ち、すごくわかる。
150円であっても、
わざわざ出向いてまで食べたくなくなったんでしょう。
家でうどんでも食べてたほうがいい。
と思ったんでしょう。
この食事会の催し、今はやってるかどうか、わかりません。
コロナがあったので、
今もしてるのか、もし再開されてても、
いろんなものが値上がりしてるので、
費用も150円のままではないでしょう。
だいぶん若い時、18くらいだった。
当時、バイト先の人、
親くらいの年齢の女性が、
病気でいらして、
働いてはおられたけと、病気があったんです。
その人が言ってたことに、
具合が悪くても、まわりの人に言わない、と。
その時、わたしは、なんで言わないんですか、
言ってわかってもらわないんですかと聞きました。
そしたら、言っても苦しみや痛みはわからないから、
と答えられました。
あの時は若くて理解ができなかった。
今なら、わかります。
いちいち、他人に言いたくなんかないんです。
言ったところで、苦しみや痛みはわかりませんし、
知られたくなんかありません。
この三月に、わたしは入院しましたが、入院まえは、すごく具合も悪くて、
それを他人様に言いたくもなかったので、言いませんでした。
ごく身近な人には知らせますが、
彼氏とか配偶者とか、
それは言いますけど、
その人の親、きょうだいには、できれば知られたくはない。
今となれば、自分の親にも言いたくはないです。
もう親いないので、
言うも言わないもないけど、
実の親だから、一応心配するから、
プラス、べつに言いたくはないからです。