わがそでは
二条院讃岐の歌。この人については管理人櫻月、あんまり知らなかったり(笑)この歌から沖の石の讃岐って呼ばれる事になったって事くらいしか。讃岐って言ったら讃岐うどんだよねー、な管理人だから。
あ、もう一個知ってた。知ってたってか…あれ違うかな?この人についてってか、この歌が百人一首に入ってるって事なら知ってる。人はなくて歌の方を知ってるってだけかこれ。
我が袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
人こそしらね 乾く間もなし
なんか知らんが、管理人、人こそしらね、とか、乾く間もなし、ってフレーズが好き。何故か。
…ほんとなんでだろ?
私の袖は引き潮の時ですら見えない沖の石の様です。
人知れず常に濡れて乾く間もありません。
こんな感じかね?訳すなら。どんだけ泣いてんだこの人。
因みに恋の歌。みんな好きね、恋の歌。
いつか作品に引用してみたいんよね、恋の歌。
去年も今年も寒くて敵わんから最近生姜湯飲み出した。
けどちょっと今飲んだの濃く作り過ぎてげんなり。
昨日は朝珈琲飲まずに生姜湯なしたんだけど、幼稚園の頃から珈琲飲みまくりで朝は珈琲な奴だからか、1日調子悪かった…。
珈琲中毒チック
飯綱〈イズナ〉
別名、管狐、飯綱権現
竹管の様な細い管に住む、小さく細長い日本の妖怪、精霊、妖精の一種。
霊能者や飯綱使いが持ち、通力が使え占術などに使われる。
また天狗に使役される使い魔でもあり、飼い慣らせれば大金もちになるとも。
飯綱使いは飯綱を使役し、予言をしたり依頼人の憎む者に飯綱を飛ばし憑け病気にしたりもする。
狐憑きの一種とも言われ、これを持つ家はくだもちと呼ばれ忌み嫌われた。
管狐は味噌を好み、憑かれると味噌ばかり食べ病人は食欲がでる。
また管狐の意思を話すようにもなる。
管狐に竹管から出して欲しいとせがまれ出すと、持主近隣の作物を不作にしたり、病人を出したりする。
このため、日本では秀吉が陰陽師狩りをしたりした。
京都の陰陽師を尾張に流し、その部落は今もある。
震度3で揺れたけど、自分含め家族の動じなさ加減に呆れた。
揺れるねー、地震?くらいの反応だけで普通に御飯食べ続けたし。
揺れ終わってから動じろよ!ってツッコミ入ったけど。
崇徳院(すとくいん)
大天狗
元75代天皇。74代鳥羽と76代近衛(近衛の後が後白河)の間。
1119年7月7日生まれで在位は1123年から1142年。
崩御は1164年に讃岐国で。その為異称は讃岐院。
鳥羽天皇の子(ただし、鳥羽には叔父子と呼ばれ嫌われたという逸話がある)。諱は顕仁(あきひと)
讃岐への配流には寵妃と僅かな女房のみでその後二度と京に戻る事なく8年後に崩御。
三木近安に暗殺されたという説がある。
配流先では仏教に傾倒して五部大乗経の写本(血で書いたとか墨で書いたとか諸説あり)を作り、戦死者の供養と反省の証にそれを京の寺に納めて欲しいと朝廷に送るも、後白河に「呪詛が込められているのではないか」と送り返されました。
それに怒った崇徳院は「日本国の大魔縁となり、皇をとって民とし民を皇となさん」「この経を魔道に回向す」と血で書いたそうです。
んで、その後生きながら天狗になったとか。怨霊伝説の方ではね。
保元の乱の後暫く崇徳は罪人扱いで、崩御した時も後白河にその死を無視したから朝廷からは何も無しで、国司が葬礼をしただけ。
因みに四国では四国全体の守り神さんだって伝説もある。
室町幕府官領の細川頼之が四国の守護になった時に崇徳天皇の菩提を弔ってから四国平定に成功して以後細川氏代々の守護神とされたんだとさ。
あと、土佐に流された土御門上皇が御陵の近くを通った時に慰める為琵琶を弾いたら、崇徳天皇が夢に現れて上皇とその家族の守護を約束したんだって。
長いんで省きましたけど、配流の理由とか結構可哀相な人。