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絵日記になりつつあります^^; 八割方、日和の閻魔!
古典文学における植物からのいけばなの成立とのことで、百人一首や万葉集などにでも多く見られるもみじを花材とした、茶花の散り紅葉にした。
集の万葉歌に詠まれる「もみじ」は「黄葉」と書かれているものが多く100首を越えるが、「紅葉」はごくわずかだ。その理由として、「奈良時代には黄色く色づくものが注目されたためだ」、という説がるが、否定的な説もある。その多くは、巻8と巻10に集中している。なお、黄葉を春の花と対照している歌もいくつか見られる。そこである万葉集の1首から紅葉の意味と茶花として使われる散り紅葉の理由を考えた。
秋山の黄葉を しげみ迷ひぬる 妹を求めむ 山道しらずも 万葉集 2-208
という、軽に住まわせていた恋妻の死を血の涙を流して悲しむ柿本人麻呂の歌がある。黄葉の山を死者の世界とする当時の山中他界観がみられる。これは死者の世界を”黄泉”と書くことにもかかわり、イザナギ・イザナミの神話の世界へ万葉人を誘ったのであろう。神ならぬ身の人麻呂には黄泉の国への道を知るすべはなかった。当時の人々にとって黄葉は単に美しいだけのものではなく、永遠を暗示する他界の色の現れであった。やがて、”もみじ”といえばもっぱら”紅葉”と書くようになったが、それはいつの頃からだったのか。調べてみたところ、平安時代の『古今集』以降のことらしい。
現在「紅葉」という言葉は色々な意味に使われている。
鹿肉のことを紅葉(もみじ)ということは広く知られているが、珍しい例では「お茶を濃く味良くたてる」ことを「紅葉」(こうよう)といい、「濃う好(よ)う」と洒落たもので広辞苑にも記載されている。
時代は変わるが、茶の湯で有名な千利休の逸話には秋に庭の落ち葉を掃除していた利休がきれいに掃き終わると、最後に落ち葉をパラパラと撒き。不思議に思った周囲が尋ねると「少しくらい落ち葉がある方が自然でいい」と答えたという。
いけばなが楽しいのは植物が生きているからだという考えを持っている者により水盤に自然の美しさを表したのではないだろうか。
鎌倉時代に広まり安土桃山にだいに最もよく好まれた茶の湯には国のために戦う武士の心を落ち着かせるという意味で行われていたという話を聞いたことがある。その死に行く武士の儚い命を紅葉に見立て自然にハラハラ散ってゆく葉を一時の生命を味わうように、散るものの美学として散り紅葉は生けられたのではないだろうか。
ひたすら気になったものを纏め綴っただけです。
長いだけで特に面白みもないかと思うので興味のない方はバックプリーズ!
●阿修羅
阿修羅は正義を司る神
阿修羅王は帝釈天に舎脂を嫁がせたいと思っていた。
が、帝釈天は待ちきれずとうとう舎脂を力ずくで奪い、凌辱した。
それを怒った阿修羅王が帝釈天に戦いを挑むことになった。
凌辱された後の舎脂は戦の最中であっても逆に帝釈天を愛してしまったことに阿修羅はさらに怒り(事実上の裏切り)、
争いは天界全部をも巻き込んでしまった。
阿修羅は復讐に燃える悪鬼となってしまった。
力の神である帝釈天に勝てる筈もなく敗れた阿修羅族はこれをきっかけに天界
帝釈天は配下の四天王などや三十三天の軍勢も遣わせて応戦した。
戦いは常に帝釈天側が優勢であったが、ある時、阿修羅の軍が優勢となり、
帝釈天が後退していたところへ蟻の行列にさしかかり、蟻を踏み殺してしまわないようにという帝釈天の慈悲心から軍を止めた。
それを見た阿修羅は驚いて、帝釈天の計略があるかもしれないという疑念を抱き、撤退したという。
一説では、この話が天部で広まって阿修羅が追われることになったといわれる。
また一説では、阿修羅は正義ではあるが、舎脂が帝釈天の正式な夫人となっていたのに、
戦いを挑むうちに赦す心を失ってしまった。つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる。
このことから仏教では天界を追われ人間界と餓鬼界の間に修羅界が加えられたともいわれる。
阿修羅を意訳すると「非天」というが、
これは阿修羅の果報が優れて天部の神にも似ているが天には非ざるという意義から名づけられた。
●シャチー
仏典では舎脂(しゃし)と音写
インド神話に登場する女神。
アスラ(阿修羅)の娘でインドラ(帝釈天)の妻。
また帝釈天の本名は尸迦(きょうしか)というので尸迦夫人とも称される。
アスラ族でありながらインドラ神の神妃となったシャチーは、
インドラとの間にジャヤンタを産んだ。
また文献によってはアスラ神族ダーナヴァ一族のプローマンの娘であるともいう。
●帝釈天
密教の守護神である天部の一つ。
バラモン教・ヒンドゥー教・ゾロアスター教の武神(天帝)でヒッタイト条文にも見られるインドラと同一の神。
妻は阿修羅の娘である舎脂。
梵天と一対の像として表されることが多い。釋提桓因(しゃくだいかんいん)とも記載される。
日本では、頭上に宝髻を結び、中国式の礼服を着た二臂像として表現されることが多い。
また、着衣下に甲冑をつけることもあり、手には金剛杵や蓮茎などを執ることがある。
密教においては、一面二臂で、冠を戴き、身体には甲冑を着け、手には独鈷杵を執る例が見られる。
また、白象にまたがった姿でも表現される。
性 別 | 女性 |
誕生日 | 4月21日 |
地 域 | 京都府 |
職 業 | 芸術・デザイン |
血液型 | O型 |