彼女の作る菓子は菓子ではなかった。
いや、
見た目は完璧だった。そこら辺のスーパーやコンビニで売ってるようなモンじゃなくて、どっかのパティシエが作るような、お菓子作りの本に載ってるような、とにかく綺麗で食欲をそそる見た目だった。
俺も最初見た時は普通に感動した。てゆーかちょっと泣きそうになった。甘い物が好きな俺にとって、それは寮で出る飯よりも豪華に見えた。
ところが、クッキーもババロアもガトーショコラもカップケーキも、いざ食ってみるととんでもない味がした。
砂糖と塩を間違えたとか
粉っぽいとか水っぽいとか
超甘いとか(それはそれで嬉しいんだけどな)超苦いとか
そんな生易しいものじゃなかった。
そして
もうそろそろ、その時期がやってくる。
女の子がはしゃぐ、あの季節が。
「不二くーん!」
テニスコートの中に響くのは、聞き慣れたいつもの声。
動いてた身体を止めて、声のした方向に視線を向ける。
フェンスの向こうには、他校の制服を着た女がこっちに向かって手を大きく振っていた。
「おっ!裕太、彼女がお迎えに来てるだーね」
「クスクス、羨ましいね」
同じコートにいた先輩達に冷やかされるのも、日常だった。
ニヤニヤと笑う二人を適当にあしらい、額に滲んだ汗を乱暴に拭いながら急ぎ足で彼女の元に向かう。
「お疲れ様ー、来るの早かったかな?」
「いや、ちょうど上がろうと思ってたから、」
気にすんな、と言いかけたけれど
笑顔の彼女を見たら言葉が喉で引っ掛かった。
一瞬で顔に熱が集まる。
「あ、顔赤いよ?水分補給した?」
「な、なんでもねーよ!」
ぶっきらぼうに返事をしてそっぽを向くと、小さな笑い声が聞こえた。
「ここで待ってるから、一緒に帰ろう」
「ん、あ、ああ…すぐ着替えてくるから」
「うん」
さっきよりも急ぎ気味に歩く。
ふたりが寄り添うようになってから、もう半年ちょっと経つ。
なのに、彼女の笑顔は何回見ても慣れなかった。
心臓がドキドキして、身体の芯が熱くなって、急に照れ臭くなって、いつもそっぽを向いてしまう。
それでも、俺は彼女の笑顔がすき、だった。
だから、こうして一緒にいるのかもしれない。
一緒にいたいと、思うのかもしれない。
こんなこと先輩達に言ったら、絶対プロレスの技をかけられるから言わないけれど(地味に痛いんだよな)。
と言うか、この事実を知ってるのは俺だけでいい。
着替え終わってコートに戻る。
フェンスの近くにいた彼女に声をかけた。
「ごめん、待たせたな」
「待ってないよー。先輩達が話しかけてくれたから退屈じゃなかったし」
コート内で自主練をしている先輩達に目を向けると、ニヤニヤしながら手を振ってきた。
柳沢先輩は俺達に向かってなんか叫んでるが、無視することにする。
「帰ろうぜ」
「あ、不二君。柳沢先輩、すごい顔でなんか言ってるけど?」
「あーいいよ、無視無視」
こんな所から早くいなくなりたい。
先輩達の方を見ないようにして、大股で歩き始めた。
いつもの帰り道なのに、景色がゆっくり遠ざかっているのは、君が隣にいるからだった。
どうやら俺の歩幅と彼女の歩幅は大きく違うらしい。
それまで女の子と歩く時は気にしなかったのに、今じゃゆっくり歩くのが癖になっている。
遅いと感じることはない。
むしろ、もっと遅く歩いてもいいくらいだった。
…言えないけど。
「そういえばさ、」
口火を切ったのは彼女の方だった。
「もうそろそろだね」
「なにが?」
「バレンタインだよ、バレンタイン!」
「あー…」
すっかり忘れてた。
と言うか、今までバレンタインと全く無縁の生活を送っていたので、そんなイベント気にも留めなかった。
「(…でも今年は違うんだな)」
うわ。
なんか恥ずかしくなってきた。
頬が赤くなっていくのが、なんとなく分かる。
でも次の瞬間、あることに気付いた。
変な汗が背中をつたう。
そうだった、彼女の作るお菓子は──。
「それでねっ」
彼女は不意に足を止め、手提げ袋の中から何かを取り出そうとする。
まさか…
眉毛が小さく痙攣を起こす。
もう嫌な予感しかしなかった。
「クラスの友達にもあげようと思って、試しにチョコレートマフィンとブラウニー作ってきたんだ!試作品だけど、不二君にもあげるね」
マジかよおおぉぉっ!!!!!
テニスラケットで殴られたような鈍い痛みが頭に走る。
差し出されたタッパーの蓋を恐る恐る開けると、美味そうなマフィンとブラウニーが所狭しと並んでいた。香ばしい匂いが辺りを包む。
「初めて作ったから、味に自信はないんだけど…」
眉毛の痙攣が激しくなる。
生唾をごくりと飲み、目の前に鎮座している菓子の味の想像をしたけれど、想像すればするほど顔がひきつってきた。
心なしか、胃がキリキリ痛んできたかもしれない。
「さ…サンキュ…」
感謝の言葉も、何故か掠れて出てきた。
手に汗が滲む。
いっそのこと、手が滑ったフリをしてタッパーを落とそうか…。
いや
それは出来ない!
なんとなく出来ない!
でもこれを食べるなんて俺には出来ない!
とりあえず寮に持って帰ろう。
そっから柳沢先輩とかに無理矢理食べさせよう。
そう決意した時だった。
俺のお腹が絶妙なタイミングで空腹を告げた。
「あ…」
「不二君、お腹空いてるの?…そうだよね、練習した後だもんね」
彼女は心配そうな表情で俺を見つめるが、何を思い付いたのか急に笑顔になった。
「不二君、お腹空いてるなら、これ全部食べていいよ!」
「っ!?」
「わたしったら馬鹿、練習の後なんだからもっとさっぱりしたもの作ってくればよかったね」
「あ、いや。俺…は、」
「ルドルフのみんなにも差し入れしようと思ったんだけど、柳沢先輩も木更津先輩も、練習中だからいらないって」
柳沢先輩がすごい顔でなんか言ってたのはこのことかあああぁぁぁ!!!!!!!!!!!!
今更後悔しても仕方ない。
持って帰ることも出来なくなった今、この菓子達を食べなければいけない。
出来るだろうか?俺に、こいつらを食べ切ることが出来るだろうか?
…いや、出来ねえ!無理だ!
殺傷能力のある食いもんを喜んで食う奴がいるかって話だ。
いねえよな?
でも俺は食わなきゃなんねえ。
だって…。
「…もしかして、食べたくない?」
キミの笑顔が見たいから!
そんなことねえよ!
なんて強がり少年。
口の中一杯にお菓子を詰め込んだ瞬間、半端じゃない辛さが爆発。
涙目になりながら必死に食べる彼、それでも彼女は嬉しそうに笑った。
「すごい、そんなにお腹空いてたの?よーしっ、不二君にあげるチョコレート、頑張って作るね!」
「むぐ……う、うん」
【ゆーたが可愛すぎてふぉぉぉー!笑】