PVの影響もあってか、「明鏡止水」は冬の歌、というイメージ。(私の中で

遠目に見てた君は今でも 君であることを守り抜けていますか?

「強い心」の本当の意味 心が心を偽れること

歌詞が心に刺さる…。そして、通勤中にこの歌を思い出すと、何とも言えない切ない気持ちになる。

明鏡止水のPVを見て、改めて気付いたことが2つあります。

まず1つは、落ち葉に覆われた地面の上で仰向けに横たわっている眞弥っくが、空に向かって手を伸ばしている、前奏のシーン。
空中にある何かを掴もうとしているように見える。私は、太陽を掴もうとしているのかな?と思ってました。
しかしこのシーン、よく見たら、この地面の落ち葉。私ずっと紅葉だと思ってましたけど、なんだか紅葉ではない木の葉っぱのように見えます。そこでふと思いました。

眞弥っくは、太陽を掴もうとしているのではなく、上から降ってくる花びらを掴もうとしているのでは?と。

もちろん、枯葉だらけの季節なので、花なんかひとつも咲いていません。
このあと、眞弥っくが手を降ろして自分の顔を覆って泣くような場面になるのですが、これは、太陽が遠すぎて掴めないことが悲しい というのに加えて、もう手遅れなもの、決して存在するはずのないものを掴もうとして、でも結局叶うはずもない、ということに絶望している…。という風にも。

また、周りの季節や時間から自分だけ取り残されていることに気付かされて、愕然としている。という風にも見えました。

そして、2つめ。この歌のタイトルです。
己龍の歌を聴いてて、私はよく、歌詞の内容の意味を考えます。これはどういうシチュエーションの歌なんだろう?この歌に出てくる主人公には一体何があったんだろう?この歌の作者は、メンバーは、何を思ってこの曲を作ったんだろう、どんなことを考えて演奏したり、歌ったりしてるんだろう?と。

そして明鏡止水の歌詞を、曲を聴きながらではなく、普通の詩として読んでみました。

一面の銀世界が歪の成れの果てであるように

透明色の僕で在りたかった

鏡に映るは似て非なる僕

せめて真っ白はままで枯れ誇る

以上、歌詞から抜粋しました。

まさしく、「水」のような心と生き方。水は、寒い季節になれば、真っ白な雪になります。目に映る景色全てが、あるがままに美しく見えるような純粋さを失い、「透明色の僕」じゃなくなってしまいます。水鏡に映った自分の姿は、これが自分だとは認められないくらい、すっかり変わってしまった、歪な姿。染まった色がたとえ白でも、その色に一度染まってしまったのだから、元の透明な姿にはもう戻れません。

でも、元の自分に戻れないなら戻れないで。
青い理想やら黒い現実やら、赤い痛みやら、これ以上色んな色を混ぜられまくって、結局訳の分からん汚い色になるくらいなら。いっそこのまま枯れ誇る。雪をかぶった木のように。

一切の迷いや濁りのない、決意に満ちた心。明鏡止水という四字熟語そのものです。

ラストの眞弥っくの歌声、めっちゃ綺麗で、いつまでも聴いてたくなる!