職場の打ち上げで

本日は異動者二人を送る打ち上げでした。
すっごくお世話になった方々で感謝も尽きない。
そもそもコロナ云々で職場全体の打ち上げもこれが初めてだった。
話も尽きない。
やはり職場の飲み会はこういうのが良いんだよこういうのが…。

ヴァチカンのエクソシスト2回目

ヴァチカンのエクソシスト2回目をとよさんとキメてきました。やっぱこれ続編あるよな!?アモルト神父かっけーぜ!

パーフェクトブルー 塚口サンサン劇場

昨日に続いて、塚口サンサン劇場のマッドハウス50周年記念上映「PERFECT BLUE(パーフェクトブルー)」を見てきた。監督は昨日と引き続き今敏さん。



ずっと気になってたのを映画館で見れてほんとに光栄。しかも、4Kリマスター版が出てるのに、あえての2K上映という、塚口サンサン劇場の粋な計らい。初見の作品なのに、画質に懐かしさを感じた。当時リアタイで見た人はもう感激だろう。



キャラソンも素敵。初めて聞く曲なのに、これも懐かしさを感じる不思議。エンドロールではペンライト振りたくなった。これがコンサートなら(アンコール!)て叫ぶところなんだろうが、こんなキツイ作品アンコールできません。



以下ネタバレ。










ずっと未麻ちゃんの日常を見ていると思っていたのに、もしかしてルミちゃんの頭の中を見させられていたってこと!?



未麻ちゃんに自分を重ねすぎて、自分は未麻だと思い込んでしまったマネージャー。アイドルを引退した未麻は理想の未麻ではなくなったので、理想の自分でもなくなってしまったから消さねば、と思い込んでしまった。




そしてあのストーカー男と繋がって外部漏らしした。




ルミちゃんは元アイドルだったということで、あのストーカー男のハンドルネーム「ミーマニア」、未麻の「ミ」だと思って見ていたが、今にして思うとルミの「ミ」だったのでは。




つまりストーカー男は未麻のファンではなく、ルミの昔からのファンだったのでは。



ストーカー男のあのチャット、「本当はこんな仕事いやなの」「私の偽物がいるの」「ミーマニアさんにしか頼めないの」「あなただけが頼り」というチャット、ストーカー男の一人創作チャットかと思っていたが、実はルミちゃん(元アイドルでストーカー男の永遠の推し)が相手だった。ファンサイトにアップロードされていた盗撮写真も音声も、ルミちゃんがストーカー男に流していた。




「うちの担当の未麻ちゃん、世間知らずでパソコンの使い方も知らないのに、突然アイドル辞めたり、グラビアの仕事受けたりなんかして、もう手に負えないの!ヲタク君ちょっと痛い目見せて理解らせてあげてよ!」などと、マネージャーとして頑張っている推しに言われたら、たちまち正義感と謎のフッ軽行動力が湧いてくるのがヲタク君というもの。




「未麻ちゃんは僕のものブヒ〜!」ではなく、「永遠の推し・ルミちゃんはアイドルの経験を活かして名プロデューサーを目指しているのに!ルミちゃんを困らせる未麻ちゃんは、模範的古参ファンである僕が分からせてあげないと!」という気持ち・・・?分からなくもない。




ルミちゃんは精神病棟で今後ずっと長期入院、しかも約5人くらいもの連続〇人事件幇助ではもう〇刑か終身刑が下された。(でも一般病棟にいたっぽいところを見ると、かなり減刑されている?)



新生チャムは動き出し、未麻は女優として仕切り直しながらも元マネージャーを見守り続ける。めでたしめでたし。・・・で終わりなのか?




まず題名の「パーフェクトブルー」の「ブルー」に違和感。真犯人を当てるだけの話、人の心の闇の話なら、ブルーではなくブラックだろう。



真犯人を当てる推理の面から見ても、


・犯人の顔が最後まで写ってない=ストーリー上明らかにストーカー男犯人説はバレバレなので、顔を画面から隠す意味がない


・体型がどう見てもルミちゃんじゃない


未麻ちゃんを襲っていたのはストーカー男とルミちゃんだとしても、じゃあ〇人事件の犯人も本当にその二人?




ドラマのシーンで泣いている未麻ちゃんを見て、泣いているから(かわいそう)(やっぱり女優の仕事嫌なんだ)(やっぱり騙されてるよ)と、ルミちゃんも私も思ってしまった。でも今にして思うと、それは未麻ちゃんの迫真の名演技だったのかもしれない。




事務所の打ち上げパーティーの輪に入らず、寂しそうにしているように見えた。だからアイドルに未練があるんじゃないかと思った。だけど、誰だって輪に入れなかったら寂しい。本当は女優業に前向きで、アダルト系の仕事だって「若いうちにしかできないことだから経験したい」と強気に真面目に取り組んでいたのかもしれない。



寂しそうにしている=未練がありそう という考え方、見た目のイメージの繋げ方が間違っていたのかもしれない。




思い浮かんだのは、昔存在を知った「BLUE」という映画。本編の75分間ずっと真っ青な画面だけが流れ、エイズ末期の監督が自分の生涯と病への恐怖を語り続ける映画。



題名のイメージだけだけれども、免疫系疾患の知識と病識がちゃんとある上で自分の心境を客観的に整理して客に語る「BLUE」に対して、まったく病識なく自分がもはや誰なのかさえ分かっていない精神疾患患者の頭の中を、客が覗き込むスタイルはまさに「PERFECT BLUE」。


真っ青な背景しかなのに監督の思いの伝わる「BLUE」に対して、カラフルな背景にたくさんのキャラクターが出てきても誰のことも分からない「PERFECT BLUE」。



この、自分が誰なのかさえ分かっていない精神疾患患者(ルミちゃん)の頭の中、と、未麻の最後のセリフ「私は私」。そもそも私ら客は一体何を見せられていたんだろう。見えてる世界のどこからどこまでを、客観的に整理して説明できるんだろう。




以前から少しずつ読み進めているチャート式哲学に載っていた、哲学界に昔からあるという未解決問題。


「『私は私』と言う私」は「私」であると、誰が証明できるのか。また、その証明が正しいことを、誰が証明できるのか。


という問題。

そして今読み進めている仏教系の本に出てきた、「摂取不捨(背いて逃げるものをどこまでも追いかけて迎えとる、阿弥陀仏の教えの報い)」。自分がやったことはどこまで行っても付いてくる。


それを思い出しちゃった。




考えや思考の繋げ方、見た目と表情で相手の感情を分かった気になってしまう私たち。



過去も経験も、病識のない精神疾患患者らも、糧にして未来に一歩踏み出す未麻ちゃん。


未麻ちゃんなりに「私は私」問題の答えをすでに持っているとしたら、ルミちゃんとストーカー男の存在と計画も、元々勘づいていたのではないのか。


知ってて好きに動かし、自分の箔、あるいは盾にしようとしたんじゃないのか。顔の映らない、連続〇人事件の真犯人が誰だったのか、未麻ちゃんが一番よく知っているのなら。




画面に映っていた「未麻ちゃん」は、どれがルミちゃんで、どこからが本物の未麻ちゃんだったのか。自分と、理想の自分と、理想の他人を分けるものは何だろう。健常者と精神疾患患者を分けるものは何だろう。分ける何か、違いが何かあって、それが認知の歪みなり自己肯定感なりだとするのなら、結局それをTPOに応じて切り替えて、本音と建前をバランス良く使い分けられる人間しか、社会に生きていけないのか。ストーカー男は退場させ、解離女は病院に押し込ませるしか手の施しようがなく、一方で何もかも知っていたかもしれない上でさらに我が道を進む未麻ちゃんは、これからも「華麗な転身を遂げた理想の女性」として野に放たれるのか。自分のやったことの報いはどこまでも付いてくるというのに。



その一部始終を見ていたのに分からない私ら客もまた、病名のない何らかの病気の、病識のない患者なのだろうか。



うーん怖い。もう1回見るならだれかとがいい。

パプリカ 塚口サンサン劇場

本日は塚口サンサン劇場の「マッドハウス創業50周年記念特集」で、今敏監督のパプリカをとよさんと見に行ってきた。グッズ売場でサントラが売っていた。全席ほぼ売り切れ。さすがにパンフレットは入荷なし。次の給料日でBlu-ray買う。
以下ネタバレ




感想と考察箇条書き
感想
・とても17年前も昔の作品とは思えない。唯一懐かしさを覚えたのは、所長の折り畳みガラケーと、最後の映画館ぐらい。
・約20年以上前の映画館、たしかに券売機ではなく窓口で作品名と大人子供何枚と告げて買ってた。シアターごとにあらかじめ上映時間が決まっていて作品ごとに調整とかはできなかったかと思うので、作品名を差し替えるスタイルだったな、と
・しかしあの感じの遊園地って今どのくらい生きているんだろうか?
・バリバリサイコホラーと思い覚悟していたのだが、意外にも切ない話だった。
・主人公以外目がやばい。
・所長の闇堕ちが想定以上に早すぎて笑った。
・バーテンダーがかっこよすぎる。


・時田、あっちゃんに怒られて機械に手を伸ばした時は、(ああ夢の世界に引きこもるつもりだ)と思ったけど、友達としてもう一度ヒムロと話すためなんて、粋なことするじゃないか。
・あの何度もYouTubeで見た、有名すぎるパレードを映画館の大画面と音響で見れて感無量。
・同じ曲でもオープニングとエンドロールで印象変わる。


・狂気の口上が楽しそう。暗誦したい。文字起こししたい。


・趣味に刺さりすぎて何回も見直したい。

考察
・夢のなかの姿はだいたい現実の姿と変わらない中、あっちゃんの姿は「パプリカ」に変わる。刑事さんの言ってた「もう一人の自分」だったら、パプリカはあっちゃんの、将来なりたかった姿だったのかな。ああいう風に、自由奔放に人の悩みや治療に尽くしたかった、けど今の研究職、しかもおっさんやじいさんをどやしつけるポジションは、自分の思い描いていた将来像と違いすぎる。

・報われないオサナイ。好きな人と同じ夢を共有したい一心で、機械を手に入れるために、おそらくチー牛デブであろう好きでもないヒムロに寝技を仕掛け、理事長の夜伽をしたのに、しかしお待ちかねの夢の世界でもパプリカに拒絶され、理事長に体を乗っ取られ、挙句夢の中とはいえ刑事に撃たれ、最後は姿がない。全員の都合のいい男。


・古い裏路地。あれはヒムロかオサナイどっちかの夢(思い出)?



・理事長とヒムロはどうなったんだろう。夢の世界で消える=夢から覚めないだったら、植物状態?記憶喪失?それとも赤ちゃん返り?



・理事長はあっちゃんに吸われてどこに行ったのだろう。あっちゃんは夢を吸えば吸うほど成長して、最後に理事長を吸って大人の姿になった。そして時田と結婚。大人の女性の次の姿をいえば妊婦・・・。まさか二人のベビーは理事長の面影持って生まれてくるとかだったら、嫌すぎる。しかも、復活したあっちゃんが出てきたのって、時田の腹の中からだった・・・。冷静に思い返せばなんときっしょい状況なんだ(褒めてる)。



・この作品のキャラデザ担当は、もののけ姫とか千と千尋の神隠しのキャラデザの人と同じだった。狙ってか偶然か分からないけど、通りで理事長の姿がダイダラボッチと似てると思った。しかも、大自然の神だったはずのもの/科学文明の頂点になるはずだったもの が、大自然と里山/大自然も里山もない大都会 を意のままに破壊し世界を初めからやり直そうとする っていう風に対になっている。



・被害が甚大すぎる。盗まれた機械が何台かは忘れたが、いくら勝手にとはいえこんな大事になるほどパプリカが治療をしまくってたとは思えない。ヒムロ、オサナイ、理事長は機械を盗んだだけでなく、機械を自主制作していたのでは。しかし、完璧に正確に設計制作できるのは時田だけだったようなので、自己流(ヒムロ流)で作ってしかも大量生産したが、欠陥品になってしまった。とか。



・そもそも狂気のパレードは誰が発端だったのか。ヒムロがすべての元凶かと思いきや、あの時すでにオサナイと理事長の養分になって脱け殻になっていた。ヒムロが夢を見続けていたのではなく、ヒムロもすでに誰かの夢に取り込まれていたなら、発端はもっと別の人のはず。パレードの先頭のアイテムが、それが誰なのかを表しているかもしれない。冷蔵庫?確かに一人目(所長)と、二人目三人目は冷蔵庫がどうとか言っていた。冷蔵庫の中にはラジカセが。もしかしてラジカセから平沢さんのパレードが流れてるのか?あの曲が夢の中で聴こえてしまったら、パレードのキャストになってしまう?目が覚めていてもずっとあの曲が聞こえてしまう?



・ヒムロについて。あのたくさんのフランス人形、卓上に敷き詰められたたくさんの頭だけの人形、本棚のゲイ雑誌、枕もとの日本人形の写真、女物の着物姿での飛び降り、・・・。ヒムロは同性愛というより、女になりたかった?だとしても日本人形の写真は何なのだろう。よっぽど大事な思い出がありそうだが。



・刑事の親友は結局実在の友達?イマジナリーフレンド?冒頭に出てきた昔の仲間は、本編と特に関係なし?



・理事長が「夢は科学の及ばない領域」と言った真意。理事長の足が悪いのは生まれつきなのか進行性の病気なのか分からなかったが、きっと夜に見る夢の世界でだけは自由に歩いたり走ったりできたんだと思う。だから誰にも唯一の自由と夢を奪われたくなかったんだろう。どんなに医療科学が進んで、将来の子供たちが救われるとしても、今生きている自分が救われたい。いくら未来に役立つとしても、今自分自身が感じている不自由と苦痛を取り除いてほしい。現代の今日の今そこから解放されないなら、せめて夜眠っている間だけでも好きな夢を好きなだけ見たい。なのに所長と主人公は懐かず、プロジェクト唯一無二の開発者時田は主人公にべったりで、目論見通りにならない。本当なら今頃理事長として製品の効能とその利益を独占しているはずだった。


継続は力なりと時は金なりは両立するのか?

さて年内の恐竜イベントはもう特にないようなので。

コロナ以来、数年ぶりに恐竜イベントいったけど、クソ邪魔BBA集団…もとい元気な年長者の団体様と、勘違い自己中親子…もとい元気なお子さまとお子さま熱心なパパママ…はほんとどこ行ってもおるな。ちゃんと夏休み避けて平日に行ったのによ。
ただ騒げればいい、周りの状況も見えないくらいSNS映えしか興味ないってんなら、公園かディズニーに行ってくれ。
わざわざ入館料払ってまで福祉施設のノリで過ごしたいのなら、普通にそのまま福祉施設に直行してくれ。

あと、距離を置きすぎたからか、どうも最近テンション上がらなくなってきたなぁ。ひとりでやれる限界まで来てしまったのだろうか。今は恐竜そのものよりも、地理とか環境史とか鉱物のほうが気になるので、そっちと絡めてやってみたい。

SNSのおかげで、最新の話題やイベント情報はもちろん、SNSじゃなきゃ知り得なかったであろう、最新の話題に対する有識者の見解までも、知ることができるようになった。その道に進んでいない自分にはすごくありがたい道具で、すごく助かってる。

だけども一方で、好きの正解が見えてきたような気がして、うーんと思ってしまう時もある。

誰が何の趣味をどのように好きなのかなんて、そんなの正解なんかあるわけないって分かってはいる。けれども、画像を見ただけで「これは○○」「これはどこの部位の骨」と理解できる、そんな流れを見るたびに、あぁ基礎を押さえられててすごいと感心しつつ、これが好きの正解なんだなと思い知らされる。

そして本当に好きな人は、やっぱり研究者かライターになってる。結局ここにぶち当たることに変わりない。

特に最近の子どもはすごい。子ども向け図鑑眺めるか、あるいは大人向けの本を無理して開くかしかできなかった世代の自分とは、知識の質が圧倒的に違いすぎる。
たとえ今は動画の丸覚えしかできない子どもだとしても、あと十数年かして言葉の意味を理解できるようになったら、どれだけ優秀なファンに育つのか。楽しみでもあり恐ろしくもある。









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