昨日に続いて、塚口サンサン劇場のマッドハウス50周年記念上映「PERFECT BLUE(パーフェクトブルー)」を見てきた。監督は昨日と引き続き今敏さん。



ずっと気になってたのを映画館で見れてほんとに光栄。しかも、4Kリマスター版が出てるのに、あえての2K上映という、塚口サンサン劇場の粋な計らい。初見の作品なのに、画質に懐かしさを感じた。当時リアタイで見た人はもう感激だろう。



キャラソンも素敵。初めて聞く曲なのに、これも懐かしさを感じる不思議。エンドロールではペンライト振りたくなった。これがコンサートなら(アンコール!)て叫ぶところなんだろうが、こんなキツイ作品アンコールできません。



以下ネタバレ。










ずっと未麻ちゃんの日常を見ていると思っていたのに、もしかしてルミちゃんの頭の中を見させられていたってこと!?



未麻ちゃんに自分を重ねすぎて、自分は未麻だと思い込んでしまったマネージャー。アイドルを引退した未麻は理想の未麻ではなくなったので、理想の自分でもなくなってしまったから消さねば、と思い込んでしまった。




そしてあのストーカー男と繋がって外部漏らしした。




ルミちゃんは元アイドルだったということで、あのストーカー男のハンドルネーム「ミーマニア」、未麻の「ミ」だと思って見ていたが、今にして思うとルミの「ミ」だったのでは。




つまりストーカー男は未麻のファンではなく、ルミの昔からのファンだったのでは。



ストーカー男のあのチャット、「本当はこんな仕事いやなの」「私の偽物がいるの」「ミーマニアさんにしか頼めないの」「あなただけが頼り」というチャット、ストーカー男の一人創作チャットかと思っていたが、実はルミちゃん(元アイドルでストーカー男の永遠の推し)が相手だった。ファンサイトにアップロードされていた盗撮写真も音声も、ルミちゃんがストーカー男に流していた。




「うちの担当の未麻ちゃん、世間知らずでパソコンの使い方も知らないのに、突然アイドル辞めたり、グラビアの仕事受けたりなんかして、もう手に負えないの!ヲタク君ちょっと痛い目見せて理解らせてあげてよ!」などと、マネージャーとして頑張っている推しに言われたら、たちまち正義感と謎のフッ軽行動力が湧いてくるのがヲタク君というもの。




「未麻ちゃんは僕のものブヒ〜!」ではなく、「永遠の推し・ルミちゃんはアイドルの経験を活かして名プロデューサーを目指しているのに!ルミちゃんを困らせる未麻ちゃんは、模範的古参ファンである僕が分からせてあげないと!」という気持ち・・・?分からなくもない。




ルミちゃんは精神病棟で今後ずっと長期入院、しかも約5人くらいもの連続〇人事件幇助ではもう〇刑か終身刑が下された。(でも一般病棟にいたっぽいところを見ると、かなり減刑されている?)



新生チャムは動き出し、未麻は女優として仕切り直しながらも元マネージャーを見守り続ける。めでたしめでたし。・・・で終わりなのか?




まず題名の「パーフェクトブルー」の「ブルー」に違和感。真犯人を当てるだけの話、人の心の闇の話なら、ブルーではなくブラックだろう。



真犯人を当てる推理の面から見ても、


・犯人の顔が最後まで写ってない=ストーリー上明らかにストーカー男犯人説はバレバレなので、顔を画面から隠す意味がない


・体型がどう見てもルミちゃんじゃない


未麻ちゃんを襲っていたのはストーカー男とルミちゃんだとしても、じゃあ〇人事件の犯人も本当にその二人?




ドラマのシーンで泣いている未麻ちゃんを見て、泣いているから(かわいそう)(やっぱり女優の仕事嫌なんだ)(やっぱり騙されてるよ)と、ルミちゃんも私も思ってしまった。でも今にして思うと、それは未麻ちゃんの迫真の名演技だったのかもしれない。




事務所の打ち上げパーティーの輪に入らず、寂しそうにしているように見えた。だからアイドルに未練があるんじゃないかと思った。だけど、誰だって輪に入れなかったら寂しい。本当は女優業に前向きで、アダルト系の仕事だって「若いうちにしかできないことだから経験したい」と強気に真面目に取り組んでいたのかもしれない。



寂しそうにしている=未練がありそう という考え方、見た目のイメージの繋げ方が間違っていたのかもしれない。




思い浮かんだのは、昔存在を知った「BLUE」という映画。本編の75分間ずっと真っ青な画面だけが流れ、エイズ末期の監督が自分の生涯と病への恐怖を語り続ける映画。



題名のイメージだけだけれども、免疫系疾患の知識と病識がちゃんとある上で自分の心境を客観的に整理して客に語る「BLUE」に対して、まったく病識なく自分がもはや誰なのかさえ分かっていない精神疾患患者の頭の中を、客が覗き込むスタイルはまさに「PERFECT BLUE」。


真っ青な背景しかなのに監督の思いの伝わる「BLUE」に対して、カラフルな背景にたくさんのキャラクターが出てきても誰のことも分からない「PERFECT BLUE」。



この、自分が誰なのかさえ分かっていない精神疾患患者(ルミちゃん)の頭の中、と、未麻の最後のセリフ「私は私」。そもそも私ら客は一体何を見せられていたんだろう。見えてる世界のどこからどこまでを、客観的に整理して説明できるんだろう。




以前から少しずつ読み進めているチャート式哲学に載っていた、哲学界に昔からあるという未解決問題。


「『私は私』と言う私」は「私」であると、誰が証明できるのか。また、その証明が正しいことを、誰が証明できるのか。


という問題。

そして今読み進めている仏教系の本に出てきた、「摂取不捨(背いて逃げるものをどこまでも追いかけて迎えとる、阿弥陀仏の教えの報い)」。自分がやったことはどこまで行っても付いてくる。


それを思い出しちゃった。




考えや思考の繋げ方、見た目と表情で相手の感情を分かった気になってしまう私たち。



過去も経験も、病識のない精神疾患患者らも、糧にして未来に一歩踏み出す未麻ちゃん。


未麻ちゃんなりに「私は私」問題の答えをすでに持っているとしたら、ルミちゃんとストーカー男の存在と計画も、元々勘づいていたのではないのか。


知ってて好きに動かし、自分の箔、あるいは盾にしようとしたんじゃないのか。顔の映らない、連続〇人事件の真犯人が誰だったのか、未麻ちゃんが一番よく知っているのなら。




画面に映っていた「未麻ちゃん」は、どれがルミちゃんで、どこからが本物の未麻ちゃんだったのか。自分と、理想の自分と、理想の他人を分けるものは何だろう。健常者と精神疾患患者を分けるものは何だろう。分ける何か、違いが何かあって、それが認知の歪みなり自己肯定感なりだとするのなら、結局それをTPOに応じて切り替えて、本音と建前をバランス良く使い分けられる人間しか、社会に生きていけないのか。ストーカー男は退場させ、解離女は病院に押し込ませるしか手の施しようがなく、一方で何もかも知っていたかもしれない上でさらに我が道を進む未麻ちゃんは、これからも「華麗な転身を遂げた理想の女性」として野に放たれるのか。自分のやったことの報いはどこまでも付いてくるというのに。



その一部始終を見ていたのに分からない私ら客もまた、病名のない何らかの病気の、病識のない患者なのだろうか。



うーん怖い。もう1回見るならだれかとがいい。