モラハラ女、モラハラ男というものは、だいたいどこにでも一人はいるものだとは思っていたが、とうとうこの職場にも現れたか、という感じ。

そういえば、京都の会社で働いていた時もこんな奴おったな、と。

しかしながら最近とあるVtuberの配信を見て、その中で色々話されていたことって、あぁモラハラ問題と関係あったんだな、と少し納得したので、そのことをここでまとめておく。



モラハラとは。

とりあえず現状の問題のタイプに最も近いであろう、「モラハラ夫」で検索すると、法律的に定義が決まっているわけではないが、その特徴は

・人が楽しそうにしていたり、自分をたしなめようとしているのが気に入らない。

・謝らない

・間違いないや失敗を人のせいにする

・少しでも気に食わないことがあると無視する

・人に対して人格否定

・嫉妬や依存、束縛が激しい

・大声で怒鳴ったり、大きな音を出して威嚇する

・共感性が乏しく、自分に興味のないことは無視する

・仕事をやめさせたり、交流を制限しようとする


というものらしい。

これらの特徴、どれも「いい年した大人がなんだそれは」という感じでうんざりする。

だがしかし、じゃあ「いい年」してない中学生や子どもだったら大目に見るのか、という話。


たとえば、そこらの路上やスーパーなんかで、大声でわめいたり大きな音をわざと立てて騒ぐ赤ちゃん、これはちっとも悪くない。
なぜなら、赤ちゃんというものは泣いたりワガママを言ったりするもので、そうやって学び成長するものだ。
未来と可能性に満ち溢れる赤ちゃんいうものは、当然可愛い存在であり、地域が優しい目で見守るべき存在であるから、親子に対して「うるさい」「なんなのあの親の態度」と苦情を入れるような大人は、聖なる無垢な赤ちゃんに対して無理解で無配慮な奴だ、だからモテないんだよ、ということになる。


そう、それが赤ちゃんの場合だったらね。


では、大声でわめいて大きな音をわざと立てて騒いでいるのが、見るからにキッショイオッサンオバサンだったらこれはどうなるか。

理不尽なクレームを入れて騒ぎ立てるオッサンを見て、オッサンの明るい未来と可能性の羽ばたきを感じるだろうか。

無理難題を押しつけて、気に入らなければ癇癪を起こすババァを見て、学びと共に成長するババァの輝きを感じるだろうか。

誠に申し訳ないが、私は全く感じない。


では、なぜ私は、大人のハラスメント行為を見て、あたたかい心になれないのか。

その理由。中高年は赤ちゃんじゃないからだ。それしかない。

赤ちゃんだって親の時間と身体を拘束し、24時間大声で要求をしているのに、赤ちゃんの親に対するハラスメント行為がアカハラにならない理由なんか、それしかない。

まったくもって当たり前すぎて下らないことだが、これが後ほどの記述で、自分的に重要なことだったりする。


赤ちゃんや子どもが大きな声で泣き叫び暴れる理由。

暑い寒い、お腹がすいた、お菓子がほしい、おもちゃがほしい。家に帰りたい、帰りたくない。お着換え片付け風呂トイレ、歯磨き食う寝る幼稚園、等々。

そして赤ちゃんが泣くと、パパママ大人が集まってくる。

どうしたの?
どこか痛いの?
おおヨシヨシ、きみはいい子いい子、パパママの大切な○○ちゃん。


ここで赤ちゃんはひとつ学ぶ。
泣けばパパママ大人が集まってきて、どうしたの?どこか痛いの?おおヨシヨシ、きみはいい子いい子、パパママの大切な○○ちゃん。と心配してくれる。
これは愛されているということだ。
だって、何もできなくて床で寝転がるしかできない赤ちゃんの自分を、パパママの大切な○○ちゃんと言ってくれるのだから。


この学びを活かして、赤ちゃんは、次の段階での立ち居振る舞い方を考える。
泣き叫び暴れる自分さえもパパママは愛しているのだから、泣き叫べばどんな要求でも愛して受け入れてくれるだろう。
なんにでも、いやだ、だって、なんで、と言ってみよう。
通らなきゃ泣き叫んで暴れてみよう。


しかし、親や大人はそうはいかない。
お菓子やおもちゃは、金持ちであれば際限なく買える場合もあるだろう。
だがたとえどんな金持ちであっても、家に帰りたい、帰りたくない、お着換え片付け風呂トイレ、歯磨き食う寝る幼稚園は、いつでもどうにかできるものではない。
だから「買って買って買って〜〜!」「お着替えいやいや〜!」には応じない。

可愛い我が子が「高価な商品を要求し暴れる少女」になどなってほしくないし、「服を着ずに外出する成人男性」が社会でまっとうに生きていけるはずがないからだ。

だから赤ちゃんは、パパママや大人の様子を見て、また新たに学習する。

「全力で駄々をこねたあとは、とても疲れる」

「疲れるほど体力気力を費やしても、こちらの要求が通らないこともあるらしい」

「だったら疲れずにお出かけできる方法を自分で考えるべきだし、そのためには、繰り返し高価なおもちゃを要求してはならないし、外に出るときは服を着なければならないようだ」


この、赤ちゃんの新たな学びは、その前段階の、「何もできなくて床で寝転がるしかできない赤ちゃんの自分を、パパママの大切な○○ちゃんと言ってくれた」という経験を土台とした気づきであって、先ほどのVtuberが配信で語るところの「バケツの底の部分」だと思う。


土台の小さい所に積み木をどんどん足してもすぐに崩れるし、穴の空いたバケツに水を汲んでも水は溜まらない。


「何もできなくて床で寝転がるしかできない赤ちゃん」の時、「パパママの大切な○○ちゃん」の段階もなく、「暴れる青少年にはなるな」、「服ぐらい自分で着たらどうだ」「まっとうに生きろ」の段階へいきなりすっ飛ばされたら、その赤ちゃんはどうなるだろう。


その答えの一部は、これまで出会ったモラハラ男女に、多少関わっていたのかもしれない。
モラハラの特徴と、赤ちゃん〜幼児の行動ってまぁまぁ似ている。
もちろん全く別の何かだったり、生まれつきの何かだったりするかもしれないが。それはまた別の話。
全く別の話だからこそ、「今時の人はすぐにパワハラモラハラと言うけど、昭和ではそれは普通だった」論と、かつて医療・福祉・保育の現場ですら「知的障害・発達障害はお母さんの愛情不足が原因」と勘違いされ続けていた理由とが、ようやく自分の中で理解できた。


赤ちゃんの時にパパママ大人の
「どうしたの?どこか痛いの?おおヨシヨシ、きみはいい子いい子、パパママの大切な○○ちゃん」
「何もできなくて床で寝転がるしかできない赤ちゃんの自分を、大切な○○ちゃんと言ってくれるのだからこれは愛されているということだ。」を得られなかった赤ちゃんが、大人になってから、それを妻や夫や、彼氏彼女や、同僚や部下にそれを求める。
パパやママではない人に、赤ちゃんの段階を補ってもらおうとする。


僕は赤ちゃんだから、大きな声で怒鳴れば、謝ってくれるはずだ。
だって僕は愛されるべきだからだ。

私が大きな声で騒げば、何でもいうことを聞いてくれるはずだ。
可愛い赤ちゃんである私のために。

俺という幼児より楽しそうにしている赤ちゃんのお前が不愉快だ。
俺だって「あなたは素晴らしい」「あなたはみんなの大切な宝」と称賛されるべきだ。


だが周りは当然引く。


そうなるとパニックだ。

どうして可愛い赤ちゃんである僕を、地域に優しい目で見守られるべき私を、明るい未来と学びを与えられるべき幼児の俺を、どうして、僕ワタシより優れている大人のお前は手を差し伸べないのか?
可愛い赤ちゃんを、「いい子」と称賛しないお前らは、赤ちゃんに対して無理解で無配慮だ、そんなお前らは馬鹿だ、馬鹿の言うことなんか、僕のおもちゃを買ってくれない大人なんか嫌いだ。「うるさい」「お前の態度はおかしいから直せ」。



ますます妻夫、彼氏彼女、同僚部下は困惑する。
いい年こいたキッショイオッサンオバサンの着ぐるみの中身が、まさか汚れなき光の赤ん坊だとは誰も思いもしない。


だがこの社会でまっとうに生きていくためには、だからといって、珠のような赤ん坊が入った、桃型の中高年を、うちでは手に負えないから、どうすればいいのか分からないからといって、どんぶらこどんぶらこと川に流すことが、果たしてこの社会で可能なのか?
そしてそれが可能なシステムが存在する?
いつか心を入れ替えてくれて、話を理解してくれて、あるいは適切な養育なり教育なりを受けて、犬猿雉という理解ある仲間と出会って、「まっとうな桃太郎」になれるシステムが?


今この時にも心が擦り減って、体が疲弊して、疲れ切ってしまっている、無数の妻夫彼氏彼女同僚部下がいるのに。どうすれば適切な何かに繋がることができるんですか?結局我慢するだけですか?